碧南市ピアノ教室 講師紹介

才能が有る

幼少の頃 

和歌山県生まれ

国鉄職員の父、保育士の母の元生まれる

5歳ごろ、保育士だった母の保育園で、日曜日のヤマハオンガン教室へ通う

先生が才能が有る!の言葉を信じた父が直ぐにアッフライトピアノを購入。

遊びで弾いていて、まわる椅子でぐるぐるしてて気持ち悪くなったのを覚えている。

お遊戯会など主役でした。

 

小学校時代

一年生の終わり頃からピアノを習い始める。

幼稚園の先生がピアノの先生

少し前から習っていた友達をバイエル追い越す。

楽しく練習?していた。

5年生の時、算数が分からなくなり、担任の先生は普通教室で良い!と言うのを自分から学習能力が低い少人数クラスに算数だけ入る。

その中では出来る方だったので自信を取り戻す。

 

音楽で大抜擢

担任の先生が、ピアノがあまり弾けない先生だった。

ロッテンマイヤー先生(アルプスの少女)みたいだった。

私もあまり好きじゃなかった。

なんと、音楽の歌のテストで36人分の伴奏をさせられた。

自分の番では、「星の世界」をピアノを弾きながら、自分で歌った。

『声もいい声してるね!』と担任からの言われた事で調子ずく。

 

ピアノ開き

6年の時にお肉屋さんが学校に、グラントピアノを寄付された

『ピアノ開き』に全校生徒の合唱伴奏者になる。

新しいグランドピアノをはじめて弾くこととなった。

自分ではすごい優越感だったが、みんなに気づかれないように隠した

その年の卒業式は、音楽卒業式に。

ひとりピアノ担当した。

 

ピアノの先生がコロコロ変わる

なんと7人も先生が変わった。

私からではなく先生のご都合だった

小学校3年生の時に習った先生は、近所の音大出たての先生だった。

それまでアッフライトピアノでレッスンだったのが、その先生の家にはグランドピアノがあって感動した。

お教室にはガラスの瓶があってキャンディーが入っていた

レッスンが終わると先生は上品に

『おひとつどうぞ!』と言ってくださった

我がお教室にも置いてあります。

厳しかったのは、国立音大出たての女の先生。

家も近かったので良かったし、指導もとても丁寧。

ただ厳しかった。

 

NHK 合唱コンクール

中学生になって他にもピアノ上手な人がいる事を知る。

合唱部で歌にも魅力を感じる。

高校受験のとき、合唱部が盛んな高校を選ぶ。

定期演奏会で組曲を伴奏される先輩に憧れ、絶対この高校の合唱部に入り、伴奏者になる!と決め勉強を頑張る。

和歌山県立粉河高校入学、合唱部入部、伴奏者にもなり、NHKコンクール、朝日コンクールなどなど出演。

 

音大受験で7人の先生に

高校I年に、音大受験を決め、従姉妹がついていた大阪芸大の先生につく。

受験生前はグラントピアノで練習したくて音楽室の鍵を借りて早朝練習。

高校の勉強は、なんとかギリギリセーフ。

普通大学受験なら到底無理な成績だったが、ピアノを弾きまくり、声楽、ソルフェージュ、楽理など7人の先生につく。

授業後レッスンに通うのは 田舎なので電車の連絡が悪くて最終電車になる事も。

駅でまさかの自転車泥棒似合う。

気にせず真っ暗な道を歩いて帰り、母に叱られる。

今思えば、怖いもの知らずな、女子高校生だった。

 

大阪芸術大学合格

片道3時間かけての通学。

毎日始発。

学生時代は、高校合唱部の先輩がいて、そのオススメで、又合唱サークルに入った。

音楽以外の色々な人が居て楽しかった。

ピアノの練習は人並みにはしていた。

そのサークルで夫と出会う。

夫は、放送学科で、テレビ、映像、マスコミなどを学んでいた。

私は、エレクトーンもやりたくて、、就職に良いかもとグレード5級とる。

 

ミニスカートのサンタに

学生時代から近所の子供たちを教え始める。

アルバイトは、ケーキ屋さん売り子。

雑誌の付録を詰める流れ作業バイト。

サンタクロースのバイトもした。

これは楽器店が今年度、エレクトーンとピアノを買ってくれたお宅へサンタクロースになって演奏するというもの。

ミニスカートのサンタで一日15〜6件。

色々なおうちに行けて楽しかった。

当時は楽器もよく売れた時代。

卒業後 ヤマハ音楽教室と自宅教室で教える。

 

結婚

25歳で結婚

結婚を期に 生徒さんたちを後輩に譲り愛知県へ。

26歳で長男

28歳で次男を出産

 

子供をだしに

長男と次男も、ヤマハへ通わせた

正直、いま どんなレッスンしているのかしりたかった。

子供をだしにした・・・笑

長男は、泣きながら教室へ。

次男は脱走。

次男は、友人のスズキメソードの教室へ変わった。

こんな指導法が、、?とそればかり気になった。

 

子供たちが音楽で可能性を開く

長男は、6年から津軽三味線の教室をしている義母から津軽三味線にハマる。

今も。。

息子たちは、学校の指揮者、伴奏者になる事で 自信がつく。

専業主婦中テレビで、子どもの頃一緒に習ってた知り合いが 東京藝術大学を出てピアニストとしてドイツ人のレッスンを受けていた。。

プチーンと糸が切れ 私、何やってるんだ!と思い 長男が小学校に上がるを期にピアノ教室開設。

子どもが幼稚園の頃は、自分の子も含めてリトミックサークルを始める。

碧南市の幼稚園保育園の先生のための実技講習会、園児の音楽会の歌指導をするようになる。

 

ピアノはやめない!

ピアノは人生の友

辛い時も楽しい時も音楽さえあれば・・・

『僕やめないよ』

いろんな節目でやめていく生徒さんがいると聞く。

でも私の教室の生徒さんは、なぜか

・ピアノはやめない

・ずっと続けたい

 

こんな風に言っていただける。

ピアノを通して、その生徒さんの人生がより豊なものになってくれたら・・・

 

ダルクローズリトミック指導歴 32年

生後8ヶ月〜のみるきいらんど認定教室18年

育脳ピアノレッスンの教科書認定教室

育脳シニアピアノレッスンの教科書認定教室

ピアノこころのほけん室認定教室

脳トレピアノエグゼクティブ講師愛知三河南部支部長

脳トレピアノkids認定教室

音符ビッツ認定教室

全日本音楽検定試験官他

 

延べ1000人の卒業生

 

1歳 2歳 3歳と保護者のための子育て支援親子リトミック指導を市内保育園にて23年め

 

幼児教育者への音楽指導24年め(園児への伝え方とピアノ伴奏法等)

 

指導者向け「幼児ピアノレッスンのお悩み相談室」

 

メディア実績

保科陽子先生の「自己肯定感アップ(I love自分メソッド)」セミナー受講中、

千葉テレビ「シゴトのコンパス」に出演。

 

TOKYO-MX未来企業に出演。ピアノこころのほけん室

 

千葉テレビ『シゴトのコンパス』出演。育脳シニアピアノレッスンの教科書

 

BS11 『サスティナブルの羅針盤』出演。持続可能な社会へのピアノ教室の役割